熊山遺跡「 幾何学的構図をもって築成された 石積遺跡」

熊山遺跡


熊山は標高508メートルの山。岡山県南部でもっとも高い山で、吉備王国の中心からすると隅(すみ)っこにあるので「くまやま」と呼ばれています。幾何学的構図をもって築成された石積遺跡で、岩盤を取り入れた基段の上に、方形三段の石積が築成されています。特徴は、二段目の各面に龕・頂部に深さ2mの竪穴が設けられている。奈良時代に築かれた仏塔と考えられています。ピラミッドを思わせるその形状から、パワースポットとしても注目されています。

全国唯一の石積遺構
熊山遺跡には33ヵ所に及ぶ石積遺構が所在します。その中でも最大の石積遺構1ヵ所を国指定史跡「熊山遺跡」と呼んでいます。ピラミッドを思わせる特殊な三段方形の石積遺構、昭和31年9月27日に国史跡に指定されました。

登山道

登山道は管理人が実際に歩いたルートを記載しています。

登山感想
熊山遺跡散策にはいくつかのルートがあります。
今回は熊山側からスタートし散策開始です、緩やかな谷あいから始まる緩やかな登山コースです。
時間も半日ほどかけてゆっくりとハイキング感覚で登れます!ご家族向けの楽しいハイキングに丁度良いと思いますよ。
※道のりが多少長いので体力があれば小学校低学年から一緒にハイキングできると思います。
登山難度

※このマップは、国土地理院の電子国土Webシステム(https://maps.gsi.go.jp)から提供されたものを使用しています。

岡山県100名山はこちらから
登山が好きな方はおススメです。

 

 

熊山遺跡へ!

吉井川を沿いにある熊山駅周辺に車を止め、いざ「熊山遺跡へ!」。
周辺もハイキングに行かれる方で賑わっています、意外と人気なので行楽シーズンには駐車場が気になるところですね。

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駐車場について
吉井川に架かる熊山橋を渡って右折し、堤防沿いに進むと左下に見えてくる広い駐車場がありますのでそこに車を置くスペースがあります。
駐車場の横には熊山遺跡とハイキングコースの案内板がありますので、看板に沿って進むと登山道入口へ進めます。

登山道入り口

緑豊かなのどかな農道を抜けると集落に入ります、集落を少し進むと登山道の入り口看板があり!
登山スタートです。

登山道看板(これより1時間30分です)

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管理人の所要時間は片道約2時間程かかりました
今回の登山は一番小さい子が幼稚園年長(女の子)でしたのでゆっくりペースに合わせながら楽しく登った時間配分です。
ちなみに体力がある方は早ければ一時間ほどで登頂するみたいですよ^^


最初の入り口付近はまだまだ道も広く歩きやすい道のりが続きます。

今回のメンバー隊です!
※小さい子が主体の家族連れのハイキンググループ

登山道入り口から歩くこと10分程でいよいよ登山コースらしくなってきました。
谷あいを小川沿いに進んでいく道が続いていきます。

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緑が深くなっていくので気温も何度が下がっていく事が肌に感じます。
帰りの下山道では沢で水遊びを子供たちが始めたのでのんびり遊んで帰りました^^

蹄岩

大きな岩の出現です。
これは蹄岩と呼ばれています。
ちょっと調べて見ると他サイトの写真看板(看板存在に管理人は現地で気づきませんでした・・・)には「1336年児島高徳の愛馬が岩肌に刻んだ蹄後とも・・・」と掲載している現地看板を発見しました。

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ちょっと調べて見ました
児島 高徳(兒嶋 髙德、こじま たかのり)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて活躍したとされる武将。備前国児島郡林村出身

頂上付近にある熊山神社へもゆかりがありました。
「児島高徳が25歳の年、足利尊氏が叛いて九州から攻め上がって来た時に、上寺山の館から熊山に旗挙げー建武3(1336)年4月ーをして新田義助を助けに行った場所。熊山神社境内、拝殿に向かって右側には児島高徳が腰掛けたと伝わる岩と旗を立てたと伝わる岩が、前後に並んで鎮座しています。」※記事ページ最後の方に写真をアップしています。
熊山遺跡登山ルートには児島高徳のゆかりがあるみたいですね。。

開けた場所に出ました。
ベンチがあったので座りたい気がしましたがベンチが折れかけてますね(笑)
ふとその先をみると・・・ん!?
よく見ると車道があります、頂上へ行ってわかったのですが熊山遺跡は車で登れる事に気づきました。
事前に地図をよく見ていればわかるのですが、今回はハイキングなので車(車道)のことは一切に頭から抜けて地図を見ていました。
熊山神社・熊山遺跡と車道があり車でも気軽に行けるので、登山は苦手な方も車で頂上に行かれるのも良いですね^^

くの字に曲がっている!?ベンチ発見
危なくはないかもしれませんが危ないかも(笑)

休憩所

5合目:休憩所発見!
山間から抜けて見晴らしが随分よくなりました。
散策の斜度がきつくないのでハイキングに丁度いい感じがします、幼稚園の子も頑張れば大丈夫そうです。・・・ちょっと小さい子には距離が長いので最後まで頑張ってくれればいいのですが。。
登山開始間もないので子供たちはまだまだ元気です^^

竜神二つ井戸

竜神二つ井戸「雄竜と雌竜の二つ井戸」・・・由来等意味はよくわかりません。
気になって帰って調べて見たのですがこれっと言って歴史的な見解がなかったので不明のままです。
※調べてわかれば掲載します!

説明書きでは登山者のための飲み水みたいですね。
「この湧き水は登山者が口にする大切な水です。清潔にして下さい。 熊山神社」と掲載されています、管理人もここで手と顔を流しましたが冷たくて気持ちがよかったです^^

この先に分かれ道があり熊山神社へ進んでいきます。
わかれ道は熊山神社への近道かどうかだけですので、近道を選択したい方は山際の道を通っていけば神社階段を登り切った鳥居にたどり着きます。
もう一方のルートは神社入口階段前にたどり着きますのでそこから参拝になります。

熊山神社

熊山神社「国家泰平・牛馬安全の守護神」

創建年代は不詳である。
本神社は熊山の山嶺に鎮座し、神位従四位下、式内外で一二八社の一であった。
唐僧鑑真和尚が天平勝宝六年(七五四)に聖武天皇の招きにより入朝し、帝釈山霊山寺を開き地蔵菩薩を社内に安置し、国家泰平・牛馬安全の守護神とした。
享保年間(一七一六~三六)に旧藩主池田候から墨印・社領高二十石・山林八町四面を賜ったが、明治維新の際、神仏混淆御引分けとなり、明治六年に熊山神社と改称した。
明治三十二年八月二十八日に暴風のため社殿は焼失した。
建武中興(一三三四)の初め後醍醐天皇が西遷せられる時に、児島高徳が義旗をあげ、皇師の軍を起したことは有名である。

岡山県神社庁より「https://www.okayama-jinjacho.or.jp」

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先に走っていった小学生組が待っています。
元気なことに走って登っていき15分ほど前に到着していました。
体力が有り余ってますね^^
その調子で下山まで頑張ってほしいですが・・・、まだ頂上手前です。。

立派な石鳥居です。

静かな空間があたりを包んでいます。
宮司さんは在中していませんので御用がある方は「宮司宅電話 086-946-1453 ※岡山県神社庁より」に連絡できます。

標高500mにある立派な神社です。
いつも思うのですが(熊山神社は建築時期は不明との事)、昔の技術・道具でこの場所に社を建築できるもんだなと感心します。


「牛馬安全の守護神」
牛が祭られていますね。。

「児島三郎高徳 挙兵の跡」
太平記に詳しく記されているが、建武3年(1336年)4月、上寺山の館から旅山に兵をあげたときの腰掛岩と旗立岩である。
※現地看板説明より

そもそも児島三郎高徳とはどのような人物なのか詳細が気になり「岡山県総合文化センターニュース」で調べてみました。

『天莫空勾践 時非無笵蠡』
鎌倉時代最末期の元弘二年(1332)三月、児島高徳は隠岐へ流される途中の後醍醐天皇を奪回しようと、その跡を追ったが果せず、せめて志だけでも伝えようと、天皇の宿所に忍び込んで、庭の桜樹の幹を削って中国越王勾践 [えつおうこうせん]の故事に因んだ十字の詩を書いたという。
この話は院庄の忠臣児島高徳の故事として知られ、すでに江戸時代の貞享五年(1688)には、津山森藩の家老で「作陽誌」を編纂した長尾勝明がこれを顕彰して「院庄胎文」[いんのしょうのこしぶみ]を著している。
児島高徳は不思議な人物である。
「太平記」にはしばしば名前が見えるのに、他の資料にその名を見ることがない。
このため、児島高徳は「太平記」の著者とされる小島法師と 同一人ではないかという説がある。
児島高徳の名は「太平記」(全四十巻)の巻四から巻三十一、元弘二年 (1332)から観応三年(1352)までの二十年間の記事に見える。
高徳は和田備後守範長の子で、「太平記」の中では、児島備後三郎高徳、小島備後三郎、児島三郎高徳、児島備後守高徳、三宅三郎高徳、今木三郎高徳など、さまざまに記され、最後は出家したのか、児島三郎入道志純と名乗って終わる。
「太平記」では、今木・大富・和田氏を近辺の親類といい、「小島ト河野トハ一族ニテ」という。
また、巻十七「江州軍事」に児島・今木・大富が兵船を揃えて上洛する 記事が見えることから、高徳は和田・今木・大富氏や伊予の河野水軍とも同族関係にあり、瀬戸内海に足がかりを持っていたと考えられる。
大富・今木氏は豊原荘(邑久郡)の地頭であった。
ところで、高徳の行動には一定のパターンがあることが指摘されている。
単独か少人数での行動が多く、偵察・撹乱・連絡などがその任務であったように見えることである。その意味で注目されるのは、巻二十四の「三宅・荻野謀反事」での高徳の動きである。
児島に隠れていた高徳は将軍らを暗殺しようと海路京都に上り、廻状を回して味方を集め、四条壬生 [みぶ]の宿に隠れて機会をうかがう。
この時、高徳の配下にいたのは「究竟[くっきょう]ノ忍ビ」であり、彼らは「元来死生不知者共」であった。これは高徳が忍びの統率者であったことを思わせるが、高徳の拠点が児島にあり、児島が五流山伏の本拠であったことを考えると、高徳は修験道に関係した人物であったことが推測されるのである。
倒幕の過程で、後醍醐天皇方に付いた備作地方の多くの武士が南北朝の内乱期に北朝側に転じて生き延びたのに対し、一貫して南朝方にいた児島・今木・大富・和田氏は早く歴史の舞台から姿を消していった。
児島高徳について書かれた図書は多い。一々はあげないが、このうち、特に、「太平記」以外の周辺史料を駆使して児島高徳を実在の人物とした藤井駿の論文集 「吉備地方史の研究」や高徳の行動パターンを指摘した「津山市史第二巻 中世」は必読の書であろう。

出典:岡山県総合文化センターニュース
http://digioka.libnet.pref.okayama.jp/eol/detail-jp/kyo

神社の手入れが綺麗にされています。
※昨今、神社を守る人(地域の方々)が高齢化し、手入れをする若い世代が対応できず荒れていく神社が増えていますよね。

熊山神社参拝入口
竜神二つ井戸からのもう一方のルートをたどれば熊山神社入口(参拝階段した)に辿り着きます。
下から参拝に行った方がありがたみがありますよね。
階段の階数はそんなにありませんので(個人的にはです・・・。)参拝を行く際には入口からがおススメです。※入口で一礼をして参拝しましょう。

天然記念物:熊山天然杉

自然の山を散策するのにひとつの楽しみはやはり巨木を見る事。。
大自然のエネルギーをそのまま蓄え大きな木々へと成長していく姿にいつも驚かされます。
そんな熊山にも「巨木」があります。
熊山神社山道脇に立つ二本の大杉。
天然記念物

名称 熊山天然杉二本
樹高 38m
幹の直径 1.5m
幹の周囲 4.5m
推定樹齢 約1000年
平成12年に赤磐市指定天然記念物に指定されています。

推定年齢約1000年・・・・途方もないですね。
人間の単位では途方もないですが、それでも地球単位では一瞬の出来事なのかもしれませんね。。
今日も大自然の雄大さをただただ魅入っていました。

 

巨木スポット
大自然の巨木が好きな方はおススメです。

 

頂上までもう少しです。
案内板が見えてきました!
ハイキングを始めて所要時間2時間30分ほどくらいです、子供たちとのんびり歩いていたので丁度いい散歩時間といったところです。
個人的な楽しみな熊山遺跡とハイキング(登山)の楽しみのひとつ頂上からの景色ですよね^^あと少しでゴールです。
展望台は最後の楽しみなので熊山遺跡から見て行いきます。

熊山遺跡についてちょっと調べて見ました。。

熊山遺跡とは

熊山遺跡とは古来より信仰の対象となっていた熊山(508メートル)の山頂付近にある、基底部と3段の基壇で構成された石積みの建造物である。
奈良時代前期に建造されたと思われる仏教遺跡である。
この基壇の周囲には室町時代前期頃まで霊山寺という寺院があった。
弥生時代以前より原始信仰が行われていた磐座(いわくら)の上に、流紋岩を正方形に組み上げている。 一辺11.7メートルの方形基壇を造り、その上に一段目に一辺7.7メートル、高さ1メートル、2段目に一辺5.2メートル、高さ1.2メートル、3段目に一辺3.5メートル、高さ1.2メートルの方形に石積み築造している。
2段目は龕(がん)と呼ばれる仏像などを納める厨子と思われる四角い横穴が4面に開けられている。その横穴は、4面の中央部に高さ65~90センチメートル、幅62~73センチメートル、奥行き90~136センチメートルで造られている。
全高は約3.5メートル、各辺の長さは基底部が約12メートル、下段が約7.7メートル、中段は約5.2メートル、上段は約3.5メートルである。
基壇の中央には竪穴石室[1]があり、その中に高さ162センチメートルの陶製の五段重ねの筒型容器[2]が納められていた。
容器内には三彩の小壷と皮革に文字が書かれた巻物が入っていたと伝えられているが、1937年(昭和12年)に盗掘にあい、現在は行方不明である。なお、筒型容器は奈良県天理市の天理大学に収蔵されている。
この基壇の目的については、戒壇説、墳墓説、経塚説などがあった。しかし近年の研究により、遺物や龕の存在などから仏塔であったことが判明している。 1956年(昭和31年)9月27日に、国の史跡に指定された。
また、熊山の標高350メートル以上には大小32基にも及ぶ類似の基壇の遺構が確認されている。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
https://ja.wikipedia.org/

小さくですが熊山遺跡が見えてきました、ここに来るまで写真・ネットでも遺跡の姿を見たことが無いのでどんな姿をしているのか楽しみです。
むかし何かの雑誌で「ピラミッド」・「宇宙人がなんとか・・・・」という記事の題目をチラッと見た記憶がよみがえりました(笑)

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人間はなぜか不思議な光景を見ると想像力豊かに発想し考えていきますね。。

熊山遺跡

熊山遺跡へ到着しました。
初めて遺跡をみましたが・・・珍しい姿です。
この遺跡は管理人は初めて見るタイプです、確かにピラミッド風ですね。。
なにか不思議な感じがします。

看板内容
国指定史跡 熊山遺跡
この遺跡は熊山山頂(508メートル)に在って、全国に類をみない石積みの遺構である。
ほぼ方形の基壇の上に、割石をもって三段に築成している。第一段は南面が狭く、北面が広い合形、第二段は南面が広く、北面が狭い台形になっている。第三段は、方形であるが、中央部分に大石で竪穴の釜がしてある。
石積みの中央には、堅穴の石室(約二メートル)が作られていて、その石室に陶製の筒形(五部分に分けられる)の容器(高さ1.6メートル)が収められていた。
この陶製の筒の中に、三彩釉の小壺からみて、本石積遺構の築成年代は、奈良時代前期で、三段の石積みの仏塔と考えられる。
また熊山山塊には、現在大小三十二基の石積みの後が確認されている。国指定の石積み遺構に類似しているが、築成のの目的、年代、築成者などは異なると思われる。

ひっそりとたたずむ遺跡・・・自然と溶け込んでいます。

熊山遺跡を抜けると山頂までは目と鼻の先の近さです。
徒歩1分もあるけば頂上の展望台です。

展望台が見えてきました。

ちょっと天気が悪いのが残念ですが、見晴らし良好です。
頂上ではゆっくり休憩できる展望台(ベンチ)があります、私たちもお昼ご飯と一休みを楽しみました。

豆情報
展望台には山頂に行くとよく見る有料の双眼鏡がありました。
100円入れるタイプですね。
何気なく見たんですが100円入れなくても見る事が出来ました^^
何気に無料開放してくれてるのかなと思いながら、子供たちと麓の岡山の街を一望しました。。

フォトギャラリー

アクセス

所在:〒709-0713  岡山県赤磐市奥吉原
TEL:086-966-6310
車:JR山陽本線 熊山駅/車40分・山陽自動車道 和気IC/車30分

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