岡山の偉人
土地の姿は、地形だけでは説明できません。誰かの決断が、川の流れを変え、海を田に変え、まちのかたちを決めてきました。このページは人物図鑑ではなく、岡山ゆかりの人を「何を変えたのか」という視点でたどる試みです。名前の下の「ゆかりの地」からは、その土地の姿(おかやま地誌)へ。
土地をつくった人
岡山藩の郡代。あばれ川・旭川を治める放水路「百間川」(治水)、用水「倉安川」(利水)、沖新田の大干拓(約2,000ha)で岡山平野を広げた。閑谷学校や後楽園の造営にも関与。いまの岡山平野は、彼の一連の決断の結果。→ 特集津田永忠と岡山平野の水で詳しく。
岡山藩を治めた名君。閑谷学校を興して教育を重んじ、津田永忠らを登用して治水・新田開発を進めた。“どんな土地にするか”を決めた統治者。
学問・科学
備中足守(現岡山市)の生まれ。大坂に適塾を開き、福澤諭吉ら幕末・明治を担う人材を育てた蘭学者・医師。
「日本の現代物理学の父」。理化学研究所で原子物理学の礎を築いた。
陽明学者。破綻寸前だった備中松山藩の財政を立て直した名臣。
文学
自然主義を代表する小説家・評論家。鋭い批評眼で知られた。
夏目漱石門下の作家・随筆家。飄々とした名文『阿房列車』で親しまれる。
「善太と三平」の物語で知られる児童文学者。子どもの世界を描き続けた。
詩情とユーモアをたたえた小説家・詩人。
芸術
「夢二式美人」で大正ロマンを象徴した画家・詩人。装幀やデザインでも時代を彩った。
若くして渡米し、20世紀前半のアメリカ画壇で高く評価された洋画家。
明治から昭和にかけて活躍し、近代日本の洋画を切り拓いた先達のひとり。
日本の水墨画を大成した「画聖」。備中・赤浜(現総社市)の生まれで、少年期を井山宝福寺で過ごし、涙で床に鼠を描いた逸話で知られる。のち明に渡り、雄大な山水画を確立した。
社会・福祉
「児童福祉の父」。宮崎の生まれだが、岡山で岡山孤児院を興し、身寄りのない多くの子どもを保護・養育した、日本の児童福祉の先駆者。
岡山県知事として、1917(大正6)年に済世顧問制度を創設。地域で困窮者を支えるこのしくみは、のちの民生委員制度の源流とされ、岡山は「民生委員制度発祥の地」と呼ばれる。
高梁の生まれ。救世軍の日本人リーダーとして、貧しい人々の救済や廃娼運動など、社会事業に生涯を捧げた。
高梁の生まれ。非行少年の教育・更生に取り組み、感化教育の「家庭学校」を創設した社会事業家。
アメリカ出身の宣教師。岡山で岡山博愛会を興し、医療・保育などの隣保(セツルメント)事業を進めた、社会福祉の先駆者。
宗教・思想
浄土宗の開祖。念仏の教えを広めた。生誕の地には誕生寺が建つ。
臨済宗をひらいた禅僧。宋から茶を伝え、日本の喫茶文化の源ともなった。
武将・剣
岡山城を築いた戦国大名。豊臣政権の五大老に名を連ねた。
二天一流をあみ出した剣豪。『五輪書』を著した。生誕地は美作(現美作市)と播磨で諸説がある。→ ゆかりの武蔵の里を訪ねる。
スポーツ・芸能(現代)
「闘将」と呼ばれ、プロ野球の選手・監督として一時代を築いた。
五輪のマラソンで連続してメダルを獲得した長距離ランナー。
ロックユニットB'zのボーカリスト。
映画・ドラマで幅広く活躍する俳優。
よくある質問
A. 政治家の犬養毅(内閣総理大臣・「憲政の神様」)、実業家の大原孫三郎(大原美術館)、画家・詩人の竹久夢二、物理学者の仁科芳雄、画聖・雪舟、剣豪・宮本武蔵、法然や栄西などの宗教者、現代ではB'zの稲葉浩志、俳優のオダギリジョー、マラソンの有森裕子、野球の星野仙一など、幅広い分野に多くの偉人がいます。
A. 江戸時代の岡山藩郡代・津田永忠が、放水路「百間川」や沖新田の大干拓などで岡山平野を広げました。明治期には藤田伝三郎が児島湾の大干拓を進めています。
A. 第29代の犬養毅(岡山市)と、第35代の平沼騏一郎(津山市)が岡山県ゆかりの総理大臣です。
A. 生誕地は美作(現・美作市)とする説と播磨とする説があり、諸説あります。美作市には、ゆかりの「武蔵の里」があります。
A. どちらも津山市の出身です。ほかにも津山市は、政治家の平沼騏一郎などを輩出しています。
A. 「児童福祉の父」石井十次(岡山孤児院)、救世軍の山室軍平、感化教育の留岡幸助、岡山博愛会のアリス・アダムスなど。また岡山県は、笠井信一知事による済世顧問制度(1917年)を生み、民生委員制度の発祥の地とされています。