倉敷市の土地と地域の物語
この土地が「なぜこうなったか」を、地形や成り立ちから読み解きます。
倉敷市の南半分をしめる児島は、その名のとおり、かつては瀬戸内海に浮かぶ大きな島でした。本土との間の浅い海「吉備の穴海」は、早島から続く干拓によって少しずつ埋め立てられ、広い新田と陸続きの土地へと変わっていきます。倉敷が塩や綿花で栄えた背景には、この干拓地の存在がありました。
江戸時代の倉敷は、幕府が直接おさめる「天領」の物資集散地。運河沿いに白壁の蔵が立ち並び、その姿がいまの美観地区に受け継がれています。さらに近代には、児島湾のいちばん外側を埋め立てて水島の工業地帯がつくられました。島だった土地が、干拓と埋立をかさねて商都と工都になった——それが倉敷です。
市の西を流れる高梁川は、瀬戸内へそそぐ河口部で広い平野と干拓地をつくりました。かつて東西二つに分かれて氾濫を繰り返したこの川は、大正時代に完成した大改修でいまの一本の流れに整えられています。水を治めた歴史の上に、いまの倉敷平野があります。
より詳しい土地の成り立ちや、個別のスポットは、姉妹サイト〈OKA-LABO〉の記事でもたどれます。