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地名を読む・第3部 ・ 郡より前の、いちばん古い枠

郷・荘・条里
― もっと古い、土地の枠

国から郡へと下ってきた土地の枠には、さらにもっと古い層があります。律令の世の「郷(ごう)」、中世の「荘(しょう=荘園)」、そして碁盤の目のように土地を刻んだ「条里(じょうり)」。これらは今、「里庄」「中庄」「湯郷」といった地名や、田んぼのなかをまっすぐ通る道になって残っています。前編「地名を読む」続編「郡をたどる」の、さらに奥へ。

土地の枠は、大きいほうから国 > 郡 > 郷(里)> 村と入れ子になっていました。これは国が定めたおおやけの区分。いっぽう荘(荘園)は、貴族や寺社の私有地という別系統の枠です。おおやけの「郷」と、私有の「荘」。性格の違うふたつの古い枠が、どちらも今の地名に残っています。そして土地そのものを碁盤の目に刻んだのが「条里」。この3つを順に見ていきます。

郷(ごう)― 律令の世の、村のまとまり

奈良〜平安の律令制では、郡の下に「郷(ごう)」という区分がありました(もとは五十戸で一里、のちに郷)。平安中期の辞書『和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』には、備前・備中・美作の郷の名がずらりと載っています。多くは失われましたが、「〜郷」の形で今に残る地名もあります。

湯郷(ゆのごう・美作市)神郷(しんごう・新見市)郷内(ごうない・倉敷市児島)——。「郷」は「さと」とも読み、いまも“ふるさと”の語感を残しています。地名の「郷」を見かけたら、そこは千年前から人がまとまって暮らしてきた土地かもしれません。

荘(しょう/庄)― 中世の荘園の記憶

平安後期から中世にかけて、貴族や寺社が各地に私有地=荘園(しょうえん)を広げました。その「荘」が、多くは「庄」の字になって地名に残っています。岡山にも「庄」のつく地名がたくさんあります。

地名よみ所在メモ
里庄さとしょう里庄町町名にそのまま。「庄」が生きる代表格。
中庄なかしょう倉敷市旧・都窪郡。大学のある一帯。
新庄しんじょう新庄村「新しい荘」の意ともされる。
しょう倉敷市一字で「庄」。旧・庄村。
上道じょうとう岡山市東区「条」由来説もある古い区画名(諸説あり)。

※「庄・荘」のつく地名がすべて荘園に由来するとは限りません(新しい開墾地の「新庄」など、意味の重なりや例外があります)。

条里(じょうり)― 土地を碁盤の目に刻む

古代には、土地そのものを約109m四方(一町)の碁盤の目に区切る「条里制(じょうりせい)」が敷かれました。縦を「条」、横を「里」、一区画を「坪」と数えます。岡山平野や県南の平地には、この条里の名残=まっすぐな田の道や、直角に交わる水路が今も残っています。

条里の跡を、地図で読む

地理院地図で県南の田園地帯を眺めると、田や道が南北・東西にきれいにそろっている場所があります。これが条里の痕跡。「◯条」「◯坪」「里」といった小字が残っていれば、ほぼ決まりです。前編で触れた小字は、この条里の地割をいちばんよく覚えている地名でもあります。

地割は、土地の古文書。 荘園の境や条里の区画は、千年の時を越えて今の田の畦(あぜ)・水路・地番の割り方にまで影を落としていることがあります。公図をひろげると、まっすぐな線と昔ながらの曲がった線が同居している——それは、この土地が歩んできた時代の重なりです。地名と地割は、声に出さない土地の記録なのです。

ひとつ上の枠へ:郡・国をたどる

郷や荘の一つ上には「郡」、さらに上には「国」がありました。備前・備中・美作の三国と、消えた郡・残る郡は続編で。

岡山の郡をたどる ― 消えた「郡」の名 →

あなたのまちの、古い枠

市町村ごとの郷・荘・土地の成り立ちは、姉妹サイト〈おかやま地誌〉で。

おかやま地誌(27市町村)→
これから書き足していく予定:和名抄に載る備前・備中・美作の郷名リスト/有名な荘園(鹿田荘・妹尾郷など)の物語/条里が今も見える場所の実例。資料が集まりしだい、順次追記します。
郷・荘園・条里に関する記述は、一般的な歴史区分と各自治体等の公表情報を参照しています。地名の由来には諸説・例外があり、ここでは代表的な流れを簡潔に示しています。