- 碑の名前
- 供養塔
- 所在地
- 岡山県赤磐市奥吉原
- 建立
- 昭和14年(1939)ごろ ― 災害の翌年
- 災害種別
- 土砂災害(長雨による築堤の崩壊)
- 伝えていること
- 昭和13年(1938)の築堤崩壊による、列車の大惨事
何が起きたか
昭和十三年(一九三八)六月十五日、長く降りつづいた雨によって、山陽本線の築堤(ちくてい)——線路を支える盛土の土手——が崩壊しました。そこへ走ってきた列車が脱線・転覆。さらに、そこへ別の列車が衝突するという、二重の大惨事となってしまいます。
この事故で亡くなった方は二十五名、負傷した方は百八名にのぼりました。供養塔は、その犠牲者を悼んで、事故の翌年にこの地に建てられたものです。
なぜ、長雨で"線路"が崩れたのか
鉄道は、丘を切り開き、低い谷を盛土(築堤)で渡しながら、まっすぐな道をつくります。この築堤は、人が土をつき固めてつくった、いわば人工の斜面です。
ふだんは頑丈な築堤も、長雨で水をたっぷり含むと重くなり、内側から緩んで、崩れやすくなります。自然の力は、人がつくった土地や構造物の"弱いところ"を、正確に突いてきます。海を埋めた干拓地が高潮や地震に弱かったように、谷を盛土で渡した築堤もまた、長雨に弱い一点でした。土地に手を入れるとき、そこには新しい弱点も生まれる——奥吉原の供養塔は、その教訓を静かに伝えています。
供養塔が伝える、いまへの教訓
あれから百年近く。いまも、大雨のたびに、斜面の崩壊や盛土の被害は各地で起きています。切り土や盛土の変化、山の斜面のわずかな異変に気づくこと——先人が石に刻んだ教訓は、そのまま今日の備えにつながっています。(現地の供養塔の写真は、実際に訪ねて記録し次第、掲載します。)
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この記事は、災害で亡くなられた方々への慰霊の気持ちをもって記しています。数値・事実は国土地理院の自然災害伝承碑データに基づきます。大雨や土砂災害への備えは、かならず気象庁・自治体などの公的な最新情報(土砂災害警戒情報など)をご確認ください。
出典:国土地理院「自然災害伝承碑」。
出典:国土地理院「自然災害伝承碑」。