- 碑の名前
- 沖新田干拓三百年記念碑
- 所在地
- 岡山県岡山市東区升田(沖新田一帯)
- 建立
- 平成8年(1996) ― 干拓事業300年を記念して
- 災害種別
- 地震
- 伝えていること
- 昭和南海地震(1946)による、干拓地の地盤沈下
何が起きたか
昭和二十一年(一九四六)十二月二十一日、西日本を「昭和南海地震」が襲いました。江戸時代に海を干拓してひらかれた沖新田の一帯では、この地震によって平均およそ五十センチメートルの地盤沈下が生じ、堤防が各所で破損しました。
地面が沈んだことで、水田には水がたまり(湛水)、海水がしみ込む塩害にも悩まされました。農作物の被害は年を追うごとに大きくなり、人々はふたたび干拓の工事を行って、この土地を守り直さなければなりませんでした。
なぜ、干拓地が沈んだのか
沖新田は、海の底だったところを堤防で締め切り、水を抜いてつくられた土地です。その地面は、海や川が運んだやわらかい土が積もった「軟弱な地盤」。ふだんは豊かな田畑ですが、地震の強い揺れを受けると、やわらかい地盤は締まって沈み込みやすいのです。
この特集ではすでに、干拓地を襲った高潮(千人塚)を見てきました。海を埋めてつくった土地は、高潮にも、そして地震にも弱い——。沖新田の碑は、その"干拓地のもろさ"を、地震という別の角度から静かに伝えています。土地の成り立ちを知ることは、そこにひそむ弱点を知ることでもあります。
三百年の干拓、そして今
沖新田がひらかれたのは、いまから三百年あまり前の江戸時代。以来この土地は、高潮に、地震に、幾度も試されながら、そのたびに人の手で守られ、耕されてきました。碑が「干拓三百年」を刻むのは、災害を乗りこえてきた土地と人の、長い時間そのものへのまなざしでもあります。(現地の碑の写真は、実際に訪ねて記録し次第、掲載します。)
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この記事は、災害の記憶を土地の成り立ちから学ぶために記しています。数値・事実は国土地理院の自然災害伝承碑データに基づきます。地震・防災への備えは、かならず気象庁・自治体などの公的な最新情報をご確認ください。
出典:国土地理院「自然災害伝承碑」。
出典:国土地理院「自然災害伝承碑」。