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児島
― 干拓地が、繊維のまちになるまで

倉敷市児島は「国産ジーンズ発祥の地」として知られます。でも——なぜ、児島でジーンズだったのか? その答えは、流行でも偶然でもありません。足もとの「土」に、はっきりと刻まれています。海を埋めてできた土地が、繊維のまちになるまでの物語です。

児島の繊維産業は、一足飛びにジーンズから始まったわけではありません。土地のハンデ → 綿 → 足袋 → 学生服 → ジーンズという、長い因果の連鎖の果てにたどり着いたものです。順に見ていきましょう。

干拓地(塩分が多い)塩に強い綿花足袋学生服縫製技術の蓄積国産ジーンズ発祥

① 米がつくれない土地だった

およそ四百年前、いまの児島一帯は海でした。それが干拓によって陸地に変わります。ところが、海を埋めてできたばかりの土地は塩分が多く、米づくりには向きませんでした。そこで人々が選んだのが、塩に強い作物——綿花やイ草です。土地のハンデが、はからずも「綿の道」をひらいたのです。→ 児島湾干拓 四百年史

② 綿から、足袋へ

豊富に採れる綿は、まず足袋(たび)づくりへと結びつきました。綿を紡ぎ、織り、縫う——この一連の手仕事が、児島に根づきます。足袋は、児島の繊維産業のいちばん最初の姿でした。

③ 足袋から、学生服へ

大正時代以降、人々の服装が和装から洋装へと変わっていきます。この波に乗って、児島は学生服の生産へと軸足を移しました。その勢いはすさまじく、昭和三十年(一九五五)には、全国の学生服のおよそ七割を児島産が占めるまでになります。足袋で培った縫製の技術が、学生服という新しい製品で花ひらいたのです。

④ そして、国産ジーンズ発祥へ

紡績・撚糸(ねんし)・織り・染色・縫製——。綿・足袋・学生服と受け継がれてきた技術の厚い蓄積が、児島にはありました。その土台があったからこそ、昭和四十年(一九六五)、日本で初めて国内で縫製されたジーンズが、この児島で生まれます。「国産ジーンズ発祥の地」と呼ばれるゆえんです。いまも児島には縫製・加工の工場やブランドが集まり、世界に知られるデニムの聖地となっています。→ 児島ジーンズストリート

土地が、産業を決めた

「なぜ児島でジーンズか」。答えは——海を埋めてできた土地が塩辛かったから、でした。米がつくれないという土地のハンデが、綿を、足袋を、学生服を、そしてジーンズを呼び込んだ。その土地に何ができるかが、そこで生まれる産業を決める。児島の繊維産業史は、干拓という「海を陸にする物語」の、みごとな"続き"なのです。次にジーンズを手に取るときは、その糸の向こうに、四百年前の海を思い出してみてください。(工場やストリートの写真は順次掲載します。)

🌾 この記事は特集「岡山平野を歩く」の一編です。/ 🌊 土地の成り立ちは 児島湾干拓 四百年史/ 👖 児島ジーンズストリート/ 📊 地誌・倉敷市
産業史・年代の記述は倉敷市、岡山県等の公表情報を参照しています。詳細・最新の情報は各公式をご確認ください。