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大型特集 ・ 水と土地と人がつくった岡山

岡山平野を歩く
― 海だった土地が、まちになるまで

足もとの、この平らな土地。じつは、はじめから平地だったわけではありません。海がしずまり、川が土を運び、人が干拓し、水を治め、まちを築いた——。岡山平野は、自然と人が何百年もかけて「つくってきた」土地なのです。その全体の物語を、一本の道すじにしてたどります。

この特集は、年表ではありません。「いま立っているこの土地は、昔なんだったのか?」——その問いを軸に、海から現在の都市までを、7つの章でつなぎます。各章は、OKA-LABOのくわしい記事へと入っていけます。

1

海だった ― 吉備の穴海

いまの岡山平野の南半分は、かつて「吉備の穴海」という浅い海でした。児島は文字どおり海に浮かぶ島。すべては、この海から始まります。

早島 ― 海だった町を歩く →
2

川がつくった ― 三大河川

旭川・吉井川・高梁川が、山の土砂を運びつづけ、長い時間をかけて平野の土台をつくりました。恵みと脅威をあわせ持つ、水の物語です。

岡山の水の物語 →
3

古代の吉備 ― 巨大古墳と鬼

平野が実りをもたらすと、古代の吉備は大きな勢力に育ちます。造山・作山の巨大古墳、そして鬼・温羅の伝説が、その力を今に伝えます。

温羅伝説 ― 桃太郎のふるさと →
4

海を陸に ― 干拓

戦国から昭和まで、人は遠浅の海を締め切り、田に変えつづけました。四百年におよぶ児島湾干拓で、岡山平野は大きく広がります。

児島湾干拓 ― 四百年史 →
5

水を治め、活かす ― 津田永忠

広げた低地の田を守り、うるおすには、水の制御が要りました。百間川で洪水を逃がし、倉安川で水を引いた、一人の藩士の仕事。

津田永忠と、岡山平野の水 →
6

水害の記憶 ― 低平地の宿命

海すれすれの干拓地と、川の集まる低平地。恵みの裏で、高潮や洪水が幾度も土地を襲いました。石碑がその記憶を伝えます。

岡山の災害を、種類で読む →
7

そして、まちへ ― 城下町と都市

旭川のほとりに岡山城と城下町が築かれ、水運と商業が育ちました。海だった土地は、いま県内最大の都市圏になっています。

岡山城と城下町 ― なぜ、この場所に →
8

そして、工業へ ― 水島

近代、同じ「海を埋める」手法が、こんどは巨大な工業地帯を生みました。海だった土地が、田になり、まちになり、そして工場になる。物語の"現在地"です。

水島 ― 海と川を埋めた工業のまち →

🗺 「あなたの土地の履歴」を、地図で調べる

この特集のいちばんの面白さは、物語を"自分の足もと"で確かめられることです。国土地理院の地図には、土地の成り立ちを読み解くためのレイヤー(重ね地図)が公開されています。古い地図を眺めるだけで、「この住宅地は、昔は海だった/川だった/田だった」が見えてきます。

  • 地理院地図を開き、「情報」から 「治水地形分類図」 を重ねる → 旧河道・自然堤防・干拓地・後背湿地が色分けで分かります。
  • 同じく 「明治期の低湿地」 レイヤー → 明治のころ、どこが湿地(もとの低い土地)だったかが分かります。
  • 「自然災害伝承碑」 レイヤー、または当サイトの 岡山の自然災害伝承碑 一覧(43基) → 先人が刻んだ災害の記憶と、低平地が重なります。

※ 古地図・旧版地図には利用のきまりがあります。当サイトでは地図画像を転載せず、公式の地理院地図でご覧いただくご案内にとどめています。

🌏 土地の成り立ち全体は 岡山の大地の物語/ 📜 土地に宿る物語は 岡山に残る伝承の風景/ 📊 市町村ごとの姿は おかやま地誌 で。それぞれの土地の"履歴"へ。
記述は国土地理院、岡山県、岡山市、国土交通省岡山河川事務所、文化庁 日本遺産ポータル等の公表情報を参照しています。伝承部分は語り継がれてきた物語であり、史実として確定したものではありません。