- 碑
- 明治26年大洪水供養塔、溺死群霊之墓、平成30年7月豪雨災害の碑 ほか(真備町に複数)
- 所在地
- 岡山県倉敷市真備町(川辺・箭田・有井 ほか)
- 災害種別
- 洪水
- 伝えていること
- この土地で繰り返されてきた、水害の記憶
碑が語る、百四十年の水害
真備町を歩くと、建てられた時代のちがう水害の碑に出会います。明治十三年(一八八〇)の洪水を悼む「溺死群霊之墓」。明治二十六年(一八九三)の大洪水の「供養塔」。昭和五十一年(一九七六)の台風。そして、平成三十年(二〇一八)七月の豪雨——。
ひとつの町に、これだけ多くの水害の碑が残るのは、けっして偶然ではありません。この土地が、何世代にもわたって、繰り返し水に襲われてきたという、重い事実を物語っています。
なぜ、ここで繰り返されるのか ― 川が出会う場所
真備町は、小田川が、大きな高梁川に合流する場所にあります。ふだんはおだやかなこの合流点が、大雨のときには弱点になります。
豪雨で本流の高梁川の水位が上がると、支流の小田川の水が高梁川へ流れ込みにくくなります。行き場をなくした水が小田川側にたまり、あふれる——これが「バックウォーター現象」です。合流点のそばに広がる低い土地・真備町に、水が集まってしまう。「なぜここで、何度も水害が起きたのか」——その答えは、二つの川が出会うという、この土地の地形そのものにあります。平成三十年の豪雨でも、この現象が甚大な被害につながったとされています。
記憶を刻み、地形に手を入れる
先人たちは、水害のたびに碑を建て、「ここは水に注意すべき土地だ」という記憶を後世へ残してきました。碑は、過去を悼むためだけのものではなく、未来への戒めでもあります。
そして近年、地形そのものへの対策が進みました。豪雨の後、工期を大きく短縮して、小田川が高梁川に合流する地点を、もとの位置から約四・六キロ下流へ移す「小田川合流点付替え事業」が完了しています。バックウォーターが起きにくいように、川の出会う場所を変える——過去の碑と、未来への工事。その両方が、いまこの土地にあります。
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この記事は、水害で亡くなられたすべての方々への慰霊の気持ちをもって記しています。平成30年7月豪雨は近年の大きな災害であり、いまも復興の歩みが続いています。事実は国土地理院・国土交通省などの公表情報に基づき、被害の詳細には触れすぎないよう努めました。防災・避難の判断は、かならず気象庁・自治体などの公的な最新情報をご確認ください。
出典:国土地理院「自然災害伝承碑」、国土交通省ほか公表資料。
出典:国土地理院「自然災害伝承碑」、国土交通省ほか公表資料。