- 碑(標識)の名前
- 昭和九年九月二十一日洪水浸水線
- 所在地
- 岡山市内の各所(岡山後楽園・岡山城・中国銀行本店・天満屋岡山本店 ほか、市内に十二か所)
- 建立
- 昭和9年(1934) ― 災害の年
- 災害種別
- 洪水(台風)
- 示しているもの
- 室戸台風による、当時の洪水の水位
何が起きたか
昭和九年(一九三四)九月二十一日、近畿・中国地方を「室戸台風」が襲いました。岡山県でも旭川・吉井川が決壊し、県内で建物の全半壊三、四一七戸、死者・行方不明者一五二名、負傷者四二〇名という大きな被害が出ています。岡山市域だけでも、死者十八名、全半壊一、二八一戸を数えました。
浸水は市街地の広い範囲におよびました。人々はその教訓を忘れないよう、水が達した高さを建物などに刻み、「洪水浸水線」の標識として市内各所に残したのです。
なぜ、街なかに"水位線"があるのか
岡山の市街地は、旭川が長い年月をかけて運んだ土砂が積もってできた、平らで低い土地(沖積低地)です。岡山城や後楽園が旭川のすぐそばに築かれたように、この街はもともと川と隣り合わせに発展してきました。
平らで低い土地は、ひとたび川があふれれば水が広く、そして深くたまります。「なぜ市街地がこれほど浸水したのか」——その答えは、岡山という街が"旭川がつくった低地"の上にある、という成り立ちそのものにあります。足もとの平らな街を、川の視点から見直すと、この水位線の意味が立ち上がってきます。
街を歩いて、水位線をさがす
この標識は、街のあちこちに残っています。岡山後楽園、岡山城、中国銀行本店(丸の内)、天満屋岡山本店(表町)、市立三勲小学校など、中心部の建物に。さらに、建部・平島・撫川・升田といった川ぞいの地域にも。
見上げると、その高さに驚くはずです。いまの何気ない通りや広場が、かつて水に沈んだ——その事実を、街そのものが記憶しています。(各標識の現地写真は、実際に訪ねて記録し次第、掲載します。)
地理院地図・公式で確認する
これらの標識は、国土地理院の「自然災害伝承碑」として登録・公開されています。市内の位置は、次からたどれます。
関連する岡山の歴史・地形
この記事は、災害で亡くなられた方々への慰霊の気持ちをもって記しています。数値・事実は国土地理院の自然災害伝承碑データに基づきます。防災・避難の判断は、かならず気象庁・自治体などの公的な最新情報をご確認ください。
出典:国土地理院「自然災害伝承碑」。
出典:国土地理院「自然災害伝承碑」。