- 碑(地蔵尊)の名前
- 余河内の流れ地蔵尊
- 所在地
- 岡山県真庭市栗原字余河内
- 建立
- 安政3年(1856)ごろ ― 災害の数年後
- 災害種別
- 洪水(ため池の決壊)
- 伝えていること
- 嘉永3年(1850)のため池決壊による大きな犠牲
何が起きたか
嘉永三年六月三日(一八五〇年七月十一日)、真庭一帯を豪雨が襲いました。余河内の鍵池(かぎいけ)と、三飛(みとび)の八ヶ谷池(はちがたにいけ)が相次いで決壊。せき止められていた水が、いっきに余河内の集落へ押し寄せました。
この災害で、亡くなった方は二十九名。流された家は七棟、そして余河内の田畑のほとんどが流失する、大惨事となりました。生き残った人々は、犠牲者を悼み、この地に地蔵尊を祀ったのです。
なぜ、山里で"ため池"が凶器になったのか
岡山は、瀬戸内の温暖で雨の少ない「晴れの国」。そのぶん昔から水の確保に苦労し、農業用水をたくわえるためのため池を、数えきれないほど築いてきた土地です。恵みをもたらすはずのため池は、しかし、大雨のときには別の顔を見せます。
山あいの谷をせき止めてつくられたため池は、豪雨で満杯になり、堤が耐えられなくなると決壊します。すると、たくわえられていた大量の水が、下流の集落へ一気に流れ下る——。「なぜ、山の中の小さな集落でこれほどの被害が出たのか」——その背景には、雨の少ない土地ゆえにため池と共に生きてきた、岡山の暮らしの姿があります。水の恵みと、水の脅威は、同じ場所に隣り合っています。
地蔵尊が、記憶を伝える
いま、余河内の流れ地蔵尊は、静かにこの山里に立っています。犠牲になった人々を悼み、そして「ここでこんなことがあった」という記憶を、百七十年あまりのあいだ、絶やさず伝えてきました。石碑だけでなく、こうしたお地蔵さまもまた、土地の災害の記憶をつなぐ大切な伝承です。(現地の写真は、実際に訪ねて記録し次第、掲載します。)
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この記事は、災害で亡くなられた方々への慰霊の気持ちをもって記しています。数値・事実は国土地理院の自然災害伝承碑データに基づきます。ため池や大雨への備えは、かならず気象庁・自治体などの公的な最新情報をご確認ください。
出典:国土地理院「自然災害伝承碑」。
出典:国土地理院「自然災害伝承碑」。