熊山神社「国家泰平・牛馬安全の守護神」

熊山神社

備前市からも赤磐市からも登れる熊山の山頂近くにある神社です。 近くには展望台もあり、天気が良ければ四国山脈や小豆島が見れます。中世には「帝釈山霊山寺」の山上伽藍が威容を誇っていたが、明治初期神仏分離の宗教改革により開扉した。本殿は切妻平入り神明造りの建設である。

国家泰平・牛馬安全の守護神

創建年代は不詳である。
本神社は熊山の山嶺に鎮座し、神位従四位下、式内外で一二八社の一であった。
唐僧鑑真和尚が天平勝宝六年(七五四)に聖武天皇の招きにより入朝し、帝釈山霊山寺を開き地蔵菩薩を社内に安置し、国家泰平・牛馬安全の守護神とした。
享保年間(一七一六~三六)に旧藩主池田候から墨印・社領高二十石・山林八町四面を賜ったが、明治維新の際、神仏混淆御引分けとなり、明治六年に熊山神社と改称した。
明治三十二年八月二十八日に暴風のため社殿は焼失した。
建武中興(一三三四)の初め後醍醐天皇が西遷せられる時に、児島高徳が義旗をあげ、皇師の軍を起したことは有名である。

岡山県神社庁より「https://www.okayama-jinjacho.or.jp」

立派な石鳥居です。

静かな空間があたりを包んでいます。
宮司さんは在中していませんので御用がある方は「宮司宅電話 086-946-1453 ※岡山県神社庁より」に連絡できます。

標高500mにある立派な神社です。
いつも思うのですが(熊山神社は建築時期は不明との事)、昔の技術・道具でこの場所に社を建築できるもんだなと感心します。


「牛馬安全の守護神」
牛が祭られていますね。。

「児島三郎高徳 挙兵の跡」
太平記に詳しく記されているが、建武3年(1336年)4月、上寺山の館から旅山に兵をあげたときの腰掛岩と旗立岩である。
※現地看板説明より

そもそも児島三郎高徳とはどのような人物なのか詳細が気になり「岡山県総合文化センターニュース」で調べてみました。

『天莫空勾践 時非無笵蠡』
鎌倉時代最末期の元弘二年(1332)三月、児島高徳は隠岐へ流される途中の後醍醐天皇を奪回しようと、その跡を追ったが果せず、せめて志だけでも伝えようと、天皇の宿所に忍び込んで、庭の桜樹の幹を削って中国越王勾践 [えつおうこうせん]の故事に因んだ十字の詩を書いたという。
この話は院庄の忠臣児島高徳の故事として知られ、すでに江戸時代の貞享五年(1688)には、津山森藩の家老で「作陽誌」を編纂した長尾勝明がこれを顕彰して「院庄胎文」[いんのしょうのこしぶみ]を著している。
児島高徳は不思議な人物である。
「太平記」にはしばしば名前が見えるのに、他の資料にその名を見ることがない。
このため、児島高徳は「太平記」の著者とされる小島法師と 同一人ではないかという説がある。
児島高徳の名は「太平記」(全四十巻)の巻四から巻三十一、元弘二年 (1332)から観応三年(1352)までの二十年間の記事に見える。
高徳は和田備後守範長の子で、「太平記」の中では、児島備後三郎高徳、小島備後三郎、児島三郎高徳、児島備後守高徳、三宅三郎高徳、今木三郎高徳など、さまざまに記され、最後は出家したのか、児島三郎入道志純と名乗って終わる。
「太平記」では、今木・大富・和田氏を近辺の親類といい、「小島ト河野トハ一族ニテ」という。
また、巻十七「江州軍事」に児島・今木・大富が兵船を揃えて上洛する 記事が見えることから、高徳は和田・今木・大富氏や伊予の河野水軍とも同族関係にあり、瀬戸内海に足がかりを持っていたと考えられる。
大富・今木氏は豊原荘(邑久郡)の地頭であった。
ところで、高徳の行動には一定のパターンがあることが指摘されている。
単独か少人数での行動が多く、偵察・撹乱・連絡などがその任務であったように見えることである。その意味で注目されるのは、巻二十四の「三宅・荻野謀反事」での高徳の動きである。
児島に隠れていた高徳は将軍らを暗殺しようと海路京都に上り、廻状を回して味方を集め、四条壬生 [みぶ]の宿に隠れて機会をうかがう。
この時、高徳の配下にいたのは「究竟[くっきょう]ノ忍ビ」であり、彼らは「元来死生不知者共」であった。これは高徳が忍びの統率者であったことを思わせるが、高徳の拠点が児島にあり、児島が五流山伏の本拠であったことを考えると、高徳は修験道に関係した人物であったことが推測されるのである。
倒幕の過程で、後醍醐天皇方に付いた備作地方の多くの武士が南北朝の内乱期に北朝側に転じて生き延びたのに対し、一貫して南朝方にいた児島・今木・大富・和田氏は早く歴史の舞台から姿を消していった。
児島高徳について書かれた図書は多い。一々はあげないが、このうち、特に、「太平記」以外の周辺史料を駆使して児島高徳を実在の人物とした藤井駿の論文集 「吉備地方史の研究」や高徳の行動パターンを指摘した「津山市史第二巻 中世」は必読の書であろう。

出典:岡山県総合文化センターニュース
http://digioka.libnet.pref.okayama.jp/eol/detail-jp/kyo

神社の手入れが綺麗にされています。
※昨今、神社を守る人(地域の方々)が高齢化し、手入れをする若い世代が対応できず荒れていく神社が増えていますよね。

熊山神社参拝入口
竜神二つ井戸からのもう一方のルートをたどれば熊山神社入口(参拝階段した)に辿り着きます。
下から参拝に行った方がありがたみがありますよね。
階段の階数はそんなにありませんので(個人的にはです・・・。)参拝を行く際には入口からがおススメです。※入口で一礼をして参拝しましょう。

竜神二つ井戸

竜神二つ井戸「雄竜と雌竜の二つ井戸」・・・由来等意味はよくわかりません。
気になって帰って調べて見たのですがこれっと言って歴史的な見解がなかったので不明のままです。
※調べてわかれば掲載します!

説明書きでは登山者のための飲み水みたいですね。
「この湧き水は登山者が口にする大切な水です。清潔にして下さい。 熊山神社」と掲載されています、管理人もここで手と顔を流しましたが冷たくて気持ちがよかったです^^

この先に分かれ道があり熊山神社へ進んでいきます。
わかれ道は熊山神社への近道かどうかだけですので、近道を選択したい方は山際の道を通っていけば神社階段を登り切った鳥居にたどり着きます。
もう一方のルートは神社入口階段前にたどり着きますのでそこから参拝になります。

フォトギャラリー

アクセス

所在:〒709-0713 赤磐市奥吉原1526
宮司宅電話:086-946-1453
車:山陽自動車道 和気IC車で約30分
JR:JR熊山駅 タクシーで約20分

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