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Katetsu Roman Road ・ 消えた鉄路

片鉄ロマン街道
― 鉱石を運んだ鉄路、いまは道

備前・片上から、美咲・柵原まで約34km。かつてここには、柵原鉱山の鉱石を港へ運ぶ鉄道が走っていました。同和鉱業・片上鉄道。役目を終えて1991年に廃止されたその線路跡は、吉井川ぞいのサイクリングロード「片鉄ロマン街道」に生まれ変わっています。鉱山鉄道が生まれ、消え、道になるまで――一本の鉄路の一生をたどります。

片上〜柵原 約34km1991年 廃止片鉄ロマン街道吉井川ぞい
Introduction

鉱石のための、一本の鉄道

片上鉄道は、備前市の片上(かたかみ)から、久米郡柵原町(現・美咲町)の柵原(やなはら)までを結んでいた、同和鉱業の私鉄です。目的はただ一つ、柵原鉱山でとれる硫化鉄鉱(りゅうかてっこう)を、瀬戸内の片上港まで運ぶこと。ローカル線でありながら、そのなりたちは観光でも通学でもなく「産業」でした。吉井川に沿って山あいを下る約34kmの鉄路は、まさに鉱山と海をむすぶ動脈だったのです。川そのものの物語は〈吉井川〉へ。

吉井川に沿って 片上(港) 和気 備前矢田 天瀬 苦木 吉ケ原・柵原 片上(海)← 約34km →柵原(鉱山) ※駅は一部・模式図
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Chapter 1 ・ 生まれる

柵原鉱山と、海への道

物語のはじまりは、山の奥の鉱山でした。柵原鉱山は、かつて東洋一とも称された硫化鉄鉱の大鉱山。硫酸などの原料となる鉱石は、当時の日本の産業に欠かせないものでした。問題は「どう運ぶか」。山あいの鉱石を、船に積める港まで大量に運ぶには、鉄道がいちばん。こうして片上鉄道が敷かれ、山の鉱石は吉井川ぞいを下って片上港へ、そして全国へと送り出されていったのです。

Chapter 2 ・ 消える

鉱山が止まり、鉄路も止まった

鉄道の運命は、鉱山と一心同体でした。時代が変わり、円高などで国内の硫化鉄鉱の需要が減ると、鉱石の産出も細っていきます。わずかに残る輸送もトラックに切り替わり、鉱石という“背骨”を失った鉄道は、経営が立ちゆかなくなりました。そして1991年(平成3年)7月1日、片上鉄道は廃止。約70年にわたって山と海を結んだ鉄路は、静かに役目を終えました。産業に生まれ、産業とともに消える――鉱山鉄道の宿命でした。

Chapter 3 ・ 道になる

線路は、みんなの道に

けれど、鉄路は消えても、その道すじは残りました。片上から吉ケ原までの線路跡は、サイクリングロード「片鉄ロマン街道」として整備され、2003年に開通。トンネルや鉄橋、駅の跡をたどりながら、吉井川の景色のなかを走れる人気のコースになっています。終点ちかくの旧・吉ケ原駅は、柵原ふれあい鉱山公園として保存され、当時の車両が今も大切に守られています。鉱石を運んだ鉄路は、いま、人を運ぶ道として第二の人生を歩んでいるのです。

⚠ 保存車両の運行日や鉱山公園・レンタサイクルの営業は、日や季節で変わります。おでかけ前に、公的な最新情報をご確認ください。サイクリング中は歩行者や地域の方への配慮も忘れずに。
まとめ

一本の鉄路の、一生

時期できごと
鉱山の時代柵原鉱山の硫化鉄鉱を片上港へ運ぶため、片上鉄道が活躍(約34km)
1991年硫化鉄鉱の需要減・トラック化で片上鉄道が廃止
2003年線路跡がサイクリングロード「片鉄ロマン街道」として開通
いま旧・吉ケ原駅=柵原ふれあい鉱山公園で保存車両を展示・運行
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