ホーム / 瀬戸大橋の物語
Seto-Ohashi Bridge ・ 本州と四国をつないだ橋

瀬戸大橋の物語
― 100年越しの夢と、世界一の橋

岡山県倉敷市児島と香川県坂出市を、瀬戸内海の島づたいに結ぶ瀬戸大橋。ひとつの提唱から開通まで、じつに約100年がかかりました。海に橋を架けるという夢が、どのように現実になったのか。塩飽(しわく)の島々を渡る6つの橋の物語として、たどってみます。

倉敷市児島 ↔ 坂出市全長 12.3km(海峡部 9.4km)1988年4月10日 開通世界一の鉄道道路併用橋
橋がまたぐ海を、地図で見る鷲羽山から児島、塩飽諸島、坂出へ。昔の航空写真や地形を重ねて、瀬戸内海の島づたいのルートを確かめる。
Chapter 1 ・ 100年の構想

海に橋を ― 一人の政治家が見た夢

瀬戸内海に橋を架けるという発想は、意外なほど古いものです。記録に残る最初の提唱は1889年(明治22年)。讃岐(香川)の政治家・大久保諶之丞(おおくぼ じんのじょう)が、四国と本州を橋で結ぶ構想を語ったとされます。当時はまだ長大橋の技術も資金もなく、あくまで遠い夢でした。

それでも、宇高連絡船(宇野〜高松)で海を渡らねばならなかった時代、「橋があれば」という願いは瀬戸内で暮らす人々のあいだに長く受け継がれていきます。夢が語られてから実現まで、ちょうど一世紀。瀬戸大橋は、時間のかかった橋でした。

Chapter 2 ・ 悲劇が動かした

紫雲丸事故 ― 海の悲劇と、架橋への決意

構想を大きく前へ動かしたのは、痛ましい事故でした。1955年(昭和30年)5月、高松沖で国鉄の宇高連絡船「紫雲丸」が濃霧の中で貨客船と衝突・沈没し、修学旅行中の児童を含む多くの命が失われました。この事故をきっかけに、「連絡船に頼らない、安全な橋を」という声が全国的に高まります。

海を渡る不安と危険を、橋でなくす。瀬戸大橋は、便利さだけでなく、人々の安全への願いを背負って計画が本格化していきました。悲しみが、夢を現実へと押し進めたのです。

この一帯の海の記憶や、瀬戸内の島の暮らしは、姉妹サイト〈おかやま地誌〉や、児島・下津井の記録にもつながります。橋の下に広がる海の物語も、あわせてどうぞ。
Chapter 3 ・ ルート決定と着工

児島・坂出ルート ― どこに架けるか

本州四国連絡橋には複数のルート案がありましたが、鉄道も通せる「児島(岡山県倉敷市)〜坂出(香川県)」のルートが1977年(昭和52年)に正式決定。翌1978年(昭和53年)10月10日に着工します。ここから、9年6か月におよぶ大工事が始まりました。

ルート上には、塩飽諸島(しわくしょとう)の櫃石島(ひついしじま)・岩黒島(いわくろじま)・与島(よしま)といった島々が点在します。瀬戸大橋は、これらの島を足がかりに、海峡を一気にではなく“島づたい”に渡っていく設計になりました。岡山側の入口には、鷲羽山(わしゅうざん)を貫く鷲羽山トンネルが設けられています。

Chapter 4 ・ 6つの橋

島から島へ ― 吊橋・斜張橋・トラス橋

「瀬戸大橋」は一本の橋ではなく、海峡部に架かる6つの大橋と、島や陸をつなぐ高架橋をまとめた総称です。海の深さや島の間隔にあわせて、吊橋・斜張橋・トラス橋という三つの形式を使い分けているのが大きな特徴。橋の博物館のような構成です。

橋の名前形式長さ(約)渡る海峡・島
下津井瀬戸大橋吊橋1,447 m下津井瀬戸(本州〜櫃石島)
櫃石島橋斜張橋792 m櫃石島〜岩黒島
岩黒島橋斜張橋792 m岩黒島〜羽佐島
与島橋トラス橋877 m羽佐島〜与島
北備讃瀬戸大橋吊橋1,611 m北備讃瀬戸
南備讃瀬戸大橋吊橋1,723 m南備讃瀬戸(〜四国側)

※長さは代表的な数値。海峡部の合計は約9.4km、高架橋を含む全長は約12.3kmです。

Chapter 5 ・ 二層構造

道路と鉄道、二階建ての橋 ― 世界一の併用橋

瀬戸大橋の最大の特徴は、上を車、下を列車が通る「二層構造」であること。上段は瀬戸中央自動車道(4車線)、下段はJR本四備讃線――愛称「瀬戸大橋線」――の複線が通ります。道路と鉄道が同じ橋を渡る“鉄道道路併用橋”としては世界最長で、ギネスにも認定されています。

この二層構造のおかげで、岡山から瀬戸大橋線に乗れば、列車のまま海の上を渡って四国へ行けます。窓の外いっぱいに広がる瀬戸内海と島々の眺めは、この橋ならではの体験です。なお下段には将来の四国新幹線を想定した準備スペースも設けられており、橋は“未来”も見据えて造られました。

Chapter 6 ・ そして開通、いまへ

1988年4月10日 ― 海峡がつながった日

1988年(昭和63年)4月10日、瀬戸大橋は開通しました。着工から9年6か月、総事業費はおよそ1兆1,338億円。宇高連絡船に頼っていた本州と四国が、はじめて陸路の橋で直接つながった歴史的な日でした。開通記念の博覧会でにぎわい、瀬戸内は一躍、脚光を浴びます。

いまも瀬戸大橋は、岡山と四国を結ぶ大動脈であり、瀬戸内観光の象徴です。鷲羽山の展望台から見おろす橋と多島美、与島パーキングエリアからの眺め、列車で渡る海の上――橋そのものが、岡山が誇る風景になりました。100年越しの夢は、いまも毎日、たくさんの人と車と列車を運んでいます。

橋を、いちばんよく見られる場所へ

橋の下に広がる児島湾は、四百年かけて海を陸にした干拓の海でもあります。あわせて 児島湾干拓 ― 海を陸にした物語 や、岡山の大地の物語 もどうぞ。橋・海・干拓を、ひとつの土地の物語として読めます。
Explore more ・ もっと知る

岡山を“深く知る”関連特集