岡山の歴史 年表
巨大な古墳をつくった古代吉備。律令の国、城と城下町、天領の町、そして近代の岡山県へ。土地に刻まれた時間を年表でたどり、それぞれの舞台となったスポットの記事へご案内します。
古代 ― 吉備の国と、巨大古墳の時代
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弥生時代稲作と鉄で栄えた「吉備」
温暖な気候と三大河川の平野、瀬戸内の海運を背景に、吉備はヤマト・出雲と並ぶ有力な勢力に成長しました。桃太郎伝説の原型「温羅(うら)」の物語も、この地の力を今に伝えます。
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5世紀(古墳時代中期)造山古墳 ― 全国屈指の巨大前方後円墳
墳丘長およそ350m、立ち入りできる古墳としては全国最大級。近くの作山古墳とともに、当時の吉備が畿内に匹敵する力を持っていたことを物語ります。
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6〜7世紀鬼ノ城 ― 謎の古代山城
総社の山上に築かれた古代山城。築造の経緯は史書に記されず、温羅伝説の舞台としても知られます。大陸との緊張の中で列島各地に築かれた城の一つと考えられています。
律令〜平安 ― 国が分かれ、寺が建つ
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7〜8世紀備前・備中・備後、そして美作へ
律令制のもと、大きな「吉備」は備前・備中・備後に分けられ、和銅6年(713)には備前の北部から美作国が分立。現在の岡山県の枠組みの原型がこの頃に生まれました。
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奈良時代備中国分寺 ― 国ごとの祈りの拠点
聖武天皇の詔により全国に建てられた国分寺のひとつ。今も吉備路に立つ五重塔(現在の塔は江戸後期の再建)は、岡山を代表する田園風景になっています。
中世 ― 武士の世と、ものづくり
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鎌倉〜室町備前焼 ― 六古窯のひとつ
釉薬を使わず、土と炎だけで焼き締める備前焼は、日本六古窯に数えられる焼きもの。中世から現代まで途切れず作られ続けています。備前刀とともに、この地の高い技術を伝えます。
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南北朝〜戦国山城の時代 ― 備中松山城
高梁の臥牛山に築かれ、天守が現存する山城としては日本一の高さ。雲海に浮かぶ「天空の城」として知られます。戦乱の世に、岡山各地の山々が城となりました。
近世 ― 城・城下町・藩、そして天領
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天正10年(1582)備中高松城の水攻め
羽柴秀吉が城を水没させて攻めた、戦国を象徴する合戦。本能寺の変の報を受けての和睦・撤退(中国大返し)へとつながりました。
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安土桃山〜江戸初期岡山城の築城と城下町
宇喜多秀家が旭川のほとりに岡山城を築き、黒い外観から「烏城(うじょう)」と呼ばれました。関ヶ原の後は小早川氏を経て池田氏が入り、岡山藩の城下町が発展。津山では森氏が津山城を築きました。
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江戸中期後楽園と閑谷学校 ― 池田の治世
元禄期に藩主池田綱政が後楽園を造営(日本三名園のひとつ)。また池田光政は、庶民のための学校として閑谷学校を開きました。現存する世界最古級の庶民教育施設です。
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江戸期天領倉敷と、川湊・街道の町
倉敷は幕府直轄の天領として代官所が置かれ、物資が集まる商都に。白壁と掘割の町並みは今の美観地区へ。高梁の吹屋はベンガラと銅で栄え、赤い町並みを残します。出雲街道など街道の宿場も各地に発展しました。
近代〜現代 ― 岡山県の誕生と、ものづくりの町
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明治4〜9年(1871〜1876)廃藩置県から「岡山県」へ
廃藩置県で藩が県となり、統合を経て明治9年ごろに備前・備中・美作を合わせたほぼ現在の岡山県が成立。近代の学校や役所が各地に整えられていきました。
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近代〜戦後繊維の児島、工業の水島
児島は足袋・学生服から国産ジーンズ発祥の地へと発展。戦後は水島に臨海工業地帯が広がり、岡山は「晴れの国」の農と、ものづくりの両輪で歩んできました。
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昭和47年・63年(1972・1988)新幹線と瀬戸大橋 ― つながる岡山
山陽新幹線の岡山開業(1972)、瀬戸大橋の開通(1988)で、岡山は本州と四国、東西を結ぶ交通の要に。歴史の舞台は、今も人の行き交う土地として続いています。
時代別に深掘りする
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