Place names ・ 地名の由来
児島
― 海に浮かんでいた「小さな島」
倉敷市の南、瀬戸大橋がのびるまち・児島(こじま)。その名は文字どおり「小さな島」を意味します。かつて本州とは海でへだてられた、瀬戸内海のひとつの島でした。地名に残る記憶から、島が地続きになるまでの土地の物語をたどります。
倉敷市児島古事記「吉備児島」島 → 干拓 → 地続き
Meaning ・ 名の意味
名は「小さな島」― 神話に記された島
「児島」の「児」は、小さいもの・いとおしいものを指す古い言葉です。つまり児島とは、そのまま「小さな島」という意味の地名。地名そのものが、ここがかつて島だったことを今に伝えています。
その名は、日本でもっとも古い書物のひとつ『古事記』にまでさかのぼります。国生みの神話で、伊邪那岐命(いざなぎ)と伊邪那美命(いざなみ)が生んだ島々のひとつとして「吉備児島(きびのこじま)」が挙げられ、別名を建日方別(たけひかたわけ)と記されています。神話に名を残すほど、児島は古くから知られた瀬戸内の島でした。
地名は、土地がいちばん最初に自分について書き残した「記録」である。
本州と児島の間に広がっていた遠浅の内海は、のちに「吉備の穴海(きびのあなうみ)」とも呼ばれました。潮の満ち引きで姿を変える、浅くおだやかな海。その海が少しずつ姿を消していく物語が、児島という地名の裏側にあります。
How it changed ・ うつりかわり
島は、どうして陸続きになった?
答えは、ひとことでいえば「土砂」と「人の手」です。北にひかえる中国山地から、旭川・吉井川・高梁川といった大きな川が、長い年月をかけて大量の土砂を運び、穴海を少しずつ埋めて遠浅にしていきました。
そこへ人の手が加わります。江戸時代、岡山藩は広大な新田をつくるため干拓(かんたく=浅い海を堤で締め切って陸にすること)を進め、明治以降はさらに大規模な児島湾干拓が行われました。そして1959年(昭和34年)、児島湾の締切堤防が完成し、淡水の児島湖が誕生。ここに、児島は完全に本州と地続きになりました。
北の平野から川が運ぶ土砂と、江戸期以降の干拓で内海(穴海)が埋まり、児島は本州とつながった。青い児島湖と締切堤防は、そこがかつて海だった証。干拓のくわしい歩みは 児島湾干拓の物語 へ。
Traces ・ 地名に残る海の記憶
地名は、消えた海の地図
島の時代・港の時代・干拓の時代――児島まわりの地名には、それぞれの時代の海のかたちが刻まれています。
| 地名 | 読みとれる土地の記憶 |
| 児島 | 「小さな島」。まちの名そのものが、ここが島だった証。 |
| 下津井(しもつい) | 島の南端の港。潮待ち・風待ちの港として北前船でにぎわった、海に開いた土地。 |
| 田の口・味野(あじの) | 島の海べりに開けた古い集落。海と暮らしが近かったころの名残り。 |
| 藤田・興除(こうじょ) | 近代の干拓でうまれた土地の名。もとは海の底だった一帯に広がる。 |
| 〜新田(しんでん) | 「新しく干拓した田」の意。児島湾一帯に点在し、造成の順に名がつくことも。 |
「藤田」「興除」「〜新田」のように、干拓でできた土地は区画が大きく整然として、地目に「田」、地盤はやわらかいことが多いもの。地名を見れば、その土地の生い立ちと、造成の新しさまでうかがえます。土地の履歴を読むのは、私たち土地家屋調査士のふだんの仕事でもあります。
Around Kojima ・ 児島をめぐる
島だったまちを、歩いてみる
島の面影は、いまも港町や高台の眺めに残っています。あわせて読むと、児島の立体感がぐっと増します。
Read more ・ つづけて読む
地名から、岡山を読む
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地図で見る岡山(旧海岸線・治水地形・昔の航空写真を重ねて、消えた海のかたちを確かめられます)
地名・年代は『古事記』などの古典や、国土地理院・各自治体の公開情報にもとづいて整理しています。土地の判断は、必ず登記・公図など公的な最新情報をご確認ください。