岡山を貫いた二つの街道
― 山陽道と、出雲街道
大名行列が進み、飛脚が駆け、旅人が笠をかたむけた道。岡山には、県南を東西に走る山陽道(西国街道)と、県北の美作を貫く出雲街道という二本の大動脈がありました。宿場に灯る軒行灯(のきあんどん)をたどるように、街道の記憶を歩きます。
街道は、時代の大動脈だった
江戸時代、街道は人と物、そして情報が行き交う大動脈でした。とりわけ大名が江戸と国元を往復する参勤交代は、道と宿場を発達させます。数百人規模の行列を泊め、人馬を継ぎ替えるために、街道沿いには一定間隔で宿場(宿駅)が置かれ、大名専用の宿「本陣」、その予備の「脇本陣」、一般の旅籠(はたご)が軒を連ねました。
岡山を通る大街道は二本。県南の平野を東西に走り、江戸と長崎を結んだ山陽道(西国街道)と、県北・美作を貫き播磨と出雲をつないだ出雲街道です。それぞれの物語をたどりましょう。
山陽道(西国街道)と、矢掛宿
PHOTO ・ 矢掛宿
山陽道は、江戸と長崎を結ぶ幹線であり、西国の大名たちが参勤交代で通う重要な道でした。その岡山県内を代表する宿場が、いまも江戸の風情を色濃く残す矢掛宿(やかげじゅく)です。薩摩の島津、萩の毛利といった大大名がここに泊まり、長崎から将軍へ献上される象までもが通ったと伝わります。
矢掛宿の何より貴重な点は、大名が泊まった本陣(石井家)と、その予備の脇本陣(高草家)が、どちらも国の重要文化財として揃って現存すること。これは全国でも矢掛だけです。町並み全体も2020年に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。
出雲街道と、美作の宿場
PHOTO ・ 出雲街道の宿場
出雲街道は、播磨・姫路を起点に、美作を東西に貫いて出雲・松江へと至る道です。松江藩・津山藩・勝山藩といった諸大名の参勤交代路として整備され、出雲大社へ詣でる旅人でもにぎわいました。美作国の中心・津山には宿駅が置かれ、街道沿いには「美作七宿」と呼ばれる宿場が発達します。
そのひとつ勝間田宿(かつまだじゅく)には、津山藩主が使う下山本陣と、松江・勝山藩主が使う木村本陣がありました。県境近くの新庄宿(しんじょうじゅく)は、難所として知られた四十曲峠(しじゅうまがりとうげ)のふもとにあり、峠越えを控えた旅人が身を休めた宿場です。
そして、三本目 ― 因幡街道と大原宿
山陽道・出雲街道につづき、県北東の山あいを越えて姫路と鳥取を結んだのが因幡街道(智頭往来)です。志戸坂峠越えのこの道は、鳥取藩の参勤交代路でもありました。峠の手前・美作市の大原宿には、街道の両側に水路の流れる宿場の町並み(古町・岡山県指定の町並み保存地区)が今も残ります。
岡山の宿場町をたどる
街道沿いには、いまも当時の面影を残す宿場や城下町が点在します。物語の順に、あるいは気になる一か所から訪ねてみてください。
| 宿場・町 | 街道 | 所在 | くわしく |
|---|---|---|---|
| 矢掛宿 | 山陽道 | 矢掛町 | 矢掛宿のページ → |
| 津山(城下町) | 出雲街道 | 津山市 | 津山のページ → |
| 新庄宿 | 出雲街道 | 新庄村 | 新庄村のページ → |
| 勝間田宿 | 出雲街道 | 勝央町 | 美作七宿のひとつ。下山・木村の両本陣。 |
| 大原宿 | 因幡街道 | 美作市 | 因幡街道のページ → |
| 吹屋(ベンガラの町) | 高梁往来ほか | 高梁市 | 吹屋のページ → |
※街道の経路や宿場の呼称・区分には諸説・時代差があります。本陣等の公開状況や見学可否は各自治体・施設の公式案内でご確認ください。
