Old battlefields ・ 古戦場

岡山の古戦場を歩く ― 城と地形が語る、戦いの記憶

山の尾根、川の合流点、峠の道――岡山の古戦場は、地形を読むと戦いの理由が見えてきます。地形と土木で城を落とした備中高松城の水攻めをはじめ、県内に残る戦いの舞台を、城と地形の視点でたどります。

備中高松城の水攻め備中兵乱常山合戦
How to read

古戦場の読み方 ― なぜ、そこで戦ったのか

戦いの場所は、たいてい地形で決まります。守る側は、けわしい山や川に囲まれた要害(ようがい)に城を築き、攻める側は、街道や川の合流点といった交通の要(かなめ)を押さえようとしました。山城は「攻めにくさ」を、平城は「押さえの良さ」を選んだ結果です。古戦場に立って地形を見わたすと、六百年前・四百年前の人が、その土地の何を読んでいたのかが伝わってきます。

尾根の城(要害) 急な斜面=守り 川(防御・水運) 街道(おさえの要)
山城の立地。けわしい斜面と川が守りになり、麓の街道を見おろす。地形が戦いの形を決めた。
Water siege

水を武器にした戦い ― 備中高松城の水攻め

岡山の古戦場でもっとも知られるのが、備中高松城(現・岡山市北区高松)の水攻めです。1582(天正10)年、羽柴秀吉は、低い湿地に建つこの城を攻めるさい、周囲に長い堤を築いて川の水を引き込み、城を水の中に孤立させました。城の弱点(低湿地)を、地形と土木で突いた戦いとして名高く、城主・清水宗治の切腹、そして本能寺の変を受けた「中国大返し」の舞台にもなりました。

川から水を引き込む 城(低湿地) 湛水(たんすい)=水没 堤(つつみ)で囲む
水攻めのしくみ。城のまわりを堤で囲い、川から水を引いて水没させ、孤立させた。
Mountains & passes

山と峠をめぐる戦い

高い山城をめぐっても、いくさは起きました。標高の高い山城として知られる備中松山城(現・高梁市)の一帯は、戦国期に三村氏と毛利氏が争った備中兵乱の舞台にもなったと伝えられます。また、児島の常山(つねやま)では、戦国期の戦い(常山合戦)と、そこで奮戦したとされる女性たちの逸話が語り継がれています。峠や尾根は、軍勢の通り道であり、待ち伏せの場でもありました。

※ 合戦の年代・経緯・人物には、記録や伝承によって諸説があります。このページは大づかみな流れを紹介するもので、細かな史実は各城・各史跡の説明や、自治体史などの一次資料でのご確認をおすすめします。
Manner

訪ねるときに ― 静かに、敬意を

古戦場や城跡は、多くの命が失われた場所であり、いまも供養・慰霊の場であることがあります。石碑や祠を大切にし、静かに手を合わせる気持ちで訪ねたいところです。足元のわるい山城跡もあるので、歩きやすい支度で、無理のない範囲で。土地に立って地形を読むひとときが、歴史を身近にしてくれます。

FAQ

よくある質問

Q. 岡山で有名な古戦場は?
A. 備中高松城の水攻め(岡山市北区高松)が代表的。ほかに備中松山城をめぐる備中兵乱、児島の常山合戦などが伝わります。
Q. 「水攻め」とは?
A. 城の周囲に堤を築いて水を引き込み、城を水没させて孤立させる攻め方。1582年、羽柴秀吉による備中高松城の水攻めが有名です。
Q. 古戦場は今どうなっている?
A. 多くは公園や史跡として整備され、城跡や石碑が残ります。慰霊・供養の場でもあるため、静かに訪ねましょう。
Q. 城と古戦場の関係は?
A. 多くの戦いは城をめぐって起きました。城の立地(山・川・道)を読むと、なぜそこが戦場になったかが見えてきます。
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※ 合戦の年代・経緯には諸説があります。史実の詳細は、各史跡の説明や自治体史などの一次資料でご確認ください。
文責:おかラボ編集部(岡山在住・家族で県内各地を歩いて記録しています) このサイトについて →