角力取山古墳「樹齢約450年を経たクロマツがお出迎え」

作山古墳(全国第10位の巨大前方後円墳)の程近くにある、低丘陵上に築かれた古墳。
墳丘は一辺約36メートル×約38メートル、高さ約5メートルの規模をもち吉備では最大級の方墳です。

埴輪のなどから、5世紀後半に造られた古墳と考えられますが、内部の埋葬施設の構造については明らかになっていません。

角力取山古墳の由来
戦前は、古墳の西側に土俵を設け、御崎宮の祭りの際に奉納相撲が行なわれていたことから「角力取山」の古墳名がつけられたそうです。

もうひとつの見どころ
古墳の上には、県指定天然記念物の樹齢約450年を経た立派なクロマツがたたずんでいます。
古墳もさることながらクロマツを威風堂々とした姿を見るのも良いですよ。。

古墳域は1971年(昭和46年)に総社市指定史跡に指定され、1972年(昭和47年)には、クロマツの古木が岡山県指定天然記念物に指定されています。
すぐ北側を旧山陽道が東西に通じており、この低丘陵上にある古墳と大松は街道からよく見えていたのではないでしょうか。

指定区分 市指定 史跡
時代 古墳時代
指定年月日 昭和46(1971)年3月20日
管理者 総社市
形式・構造など 方墳
大きさ・寸法 墳丘 一辺約36m×約38m、高さ約5m

遠くからでもひと目でわかるクロマツ

旧山陽道からでも目立つ古墳であったのがよくわかる光景です。
まわりには家屋が少なく、ちょっと小高い低丘陵上にある古墳と大松は離れた場所からでもよく見えています^^

古墳に到着

角力取山古墳に到着です。
今日は季節は春先の良く晴れた日で風が心地よく流れています。
桜と新緑のコラボが何とも言えなく映えています。

手入れが良くされていて、古墳と言わなければ全くわかりません。
大きな広場的な公園に感じます。

子供の声がどこからともなく聞こえてくるので歩いていくと・・・
道路を挟んで西側には公園がありました。
長閑でいい環境の公園ですね。。
家族で古墳を見に来てからの公園なんてプランもどうでしょうかね、家族で古墳を見る方は少ないでしょうか(笑)

古墳に目がつくというより松の存在感が目立っていますね。。
事前に思っていたクロマツの一本木というより、現地には数本の末が立ち並んでいます。
大きそうな枝ぶりの末が奥の方に見えていますね。

クロマツが見える位置に歩いてみます。

角力取山古墳の説明看板がありました。

説明看板より

角力取山古墳(山手村指定遺跡)
この古墳は、古墳時代中期、五世紀頃沖積地に築かれた全国でも珍しい方型古墳(高さ七メートル、南北三十メートル、東西三十七メートル)で、かつての地域の支配者であった豪族の墓陵と言われている。
古くから古墳の西側に土俵を設け、氏神・御崎神社秋祭り最終日に奉納角力が行われ、戦前まで続いたことから角力取山と言われるようになったと言う。

大松(岡山県指定天然記念物)
この黒松は高さ二十メートル、目通り周囲約五メートル、樹齢約四百年で、昭和五~六年頃までは、四本の巨木があったが、半世紀の間に三本が枯れて老松一本だけとなった。

山手村教育委員会

大松(岡山県指定天然記念物)

空を見上げると眼前に飛び込んでくる大きなクロマツ。。。
確かに周りの木々と比べて大きく立派です。
周囲も大きな樹木が無いのでひときわ際立っています。

角力取山古墳の頂上です(クロマツのたもと)
周囲は盆地みたいになっているので、北側は山すそまで平地が広がっています。低丘陵上に築かれた古墳でもこの見晴らしです。

クロマツはというと・・

あまり写真では伝わりにくいですが、この写真には現地での迫力がちょっと感じ取れるかもという写真です。

枝も大きく重くなり添え木をし保護されています。

村指定、山手村の事ですね昔は都窪郡山手村でしたが、現在は2005年(平成17年)3月22日の総社市、都窪郡清音村との対等合併により総社市となっています。
岡山県は平成の大合併によりほとんどの行政庁の村単位がなくなりました。
令和に入った現在では「新庄村」「西粟倉村」の2つの村だけが合併を行わず残っています。
個人的には村単位の行政庁にはこのまま残ってほしいと思っています。

キリギリ山古墳

角力取山古墳の道路対面には「キリギリ山古墳」があります。
ひとつの古墳を見に行ってふたつみれるというお得感です(笑)

ギリギリ山古墳石室はもともとは総社市西郡下山田上にあり、ギリギリ山古墳(持坂20号墳)の横穴式石室です。
1979年(昭和54年)の県道建設に伴い、現在の角力取山古墳西側に移設・復元されています。

古墳の規模
ギリギリ山古墳:円墳
直径:約30メートル、高さ4メートル。
石室は玄室:長さ4.2メートル・幅2.4メートル
羨道:長さ2.8メートル・幅1.1メートル
墓道:長さ3メートル・幅1.1メートル

西方に開口したが、天井石はすでに失われています。
築造年代は6世紀中葉頃と推定され、7世紀中葉頃の2人以上が追葬されていた。

アクセス

所在地 総社市岡谷

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※写真の無断掲載・使用を禁止します。

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