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Dams ・ ダムの記録

ダムと、沈んだ村
― 水にかわった土地の記録

岡山の大きな川には、いくつものダムが築かれています。洪水を防ぎ、田に水を配り、電気を生む――暮らしを支える一方で、鏡野町の苫田(とまた)ダムのように、ひとつの集落が丸ごと湖底に沈んだ土地もありました。ダムがつくられた理由と、沈んだ村のこと、そして水を分けあうしくみを、静かに記録します。

三大河川苫田ダム=504戸の移転土地改良区
Why ・ なぜダムが要ったか

「晴れの国」だからこそ、水をためた

岡山は雨の少ない「晴れの国」。しかも川は中国山地から瀬戸内へ、比較的短く急に流れ下ります。ふだんは水が足りず、大雨のときは一気に増えて洪水になる――この両方の悩みに応えるのが、上流のダムでした。

岡山の三大河川吉井川・旭川・高梁川には、洪水を防ぐ(治水)/田畑や水道に水を配る(利水・かんがい)/水力で電気を生む(発電)を兼ねた「多目的ダム」が築かれます。少雨の地でため池が発達したのと同じ理由が、より大きな規模でダムを生んだのです。

水が足りない土地は、水をためる知恵を積み重ねてきた。ため池から、ダムまで。

ダム河川完成おもな役割
湯原ダム旭川1955年洪水調節・発電。県内最大級の貯水。真下に湯原温泉「砂湯」
旭川ダム旭川1954年治水・かんがい・発電の多目的
苫田ダム吉井川2005年治水・利水など多目的。鏡野町(旧奥津町)

※ 旭川は延長約142kmの一級河川で、岡山三大河川のひとつ。数値は各ダム管理者・自治体の公表による。

Record ・ 沈んだ村の記録

苫田ダム ― 半世紀の反対と、504戸の移転

鏡野町(旧奥津町)の吉井川上流にある苫田ダムは、岡山のダムの歴史のなかでも、とりわけ重い記憶を持つダムです。

建設構想が示されたのは1957年。しかし水没する地域の人びとにとって、それはふるさとそのものを失うことを意味しました。旧奥津町は「苫田ダム絶対阻止」を町の方針(町是)に掲げ、条例まで定めて、町を挙げた反対運動を続けます。賛成と反対で地域が割れ、長い年月、人びとは苦しい選択を迫られ続けました。

町長がダム受け入れを表明したのは1990年。構想から実に42年を経て、本体工事は1999年に始まり、2005年にダムは完成しました。水面下に消えたのは、農地155haを含む330haの土地、そして504戸(旧奥津町477戸・鏡野町27戸)の暮らしでした。総事業費は約1940億円にのぼります。

いまダム湖のおだやかな水面の下には、田畑があり、家があり、人びとの日々があった――そのことを、静かに書き留めておきたいと思います。

ダム堤 ダム湖(湛水) かつて田畑と家があった谷底
谷をダムの堤でせき止めると、上流に水がたまり、谷底にあった集落や田畑が水面下に沈む。おだやかな湖面の下には、かつての暮らしの場所がある。
🕯 このページは、ダムの是非を論じるためのものではありません。移転を選ばれた方々、ふるさとを見送った方々への敬意をもって、この土地に起きたことを記録として残すことを目的としています。鏡野町の歩みは、姉妹編〈おかやま地誌〉の 鏡野町 にもまとめています。
System ・ 水を分けあうしくみ

ダムの水を田へ ― 土地改良区の役割

ダムやため池にためた水は、ためただけでは田に届きません。用水路をとおして地域の農地へ公平に配り、施設を維持し続ける――その担い手が土地改良区です。土地改良法にもとづく農業者の法人で、主に次のような役目をになっています。

  • かんがい・排水施設の維持管理用水路・ため池・水門などを点検し、直し、次の世代へ引き継ぐ。
  • 水路の改修・新設老朽化した水路を直し、必要な水の道を新しくつくる。
  • ほ場整備・区画整理(換地)入り組んだ田を使いやすい形に整え、土地の権利を新しい区画に置きかえる。
🗺 用水路の付け替えやほ場整備で行う「換地」は、境界を確かめ、面積を測り、新しい区画に土地の権利を移す仕事――まさに土地家屋調査士が関わる領域です。ダムから田の一枚一枚まで、水と土地は細い糸でつながっています。ため池からの水の分けあいは ため池 ― 水をためる知恵 もどうぞ。
Read more ・ つづけて読む

"地図と数字"で、岡山を読む

📍 この場所を地図で見る地図で見る岡山(苫田ダムと吉井川上流のダム湖を、地形やハザードと重ねて確かめられます)
📖 ダムの諸元・年代・戸数は、ダム管理者や自治体の公表資料にもとづいて整理しています。数値や経緯の細部は、各機関の公式情報もあわせてご確認ください。洪水・放流などの防災情報は、必ず公的な最新の発表に従ってください。