まだかな橋跡「まだかなと声をかけていたことから橋への名前の由来になったとか・・・」

倉敷市・下津井地区に「まだかな会館」という、ちょっと変わった名前の建物が目につきます。
「まだかな会館」は地域の公民館のような建物だそうですが、建物用途や使用目的に「まだかな」という言葉の意味があるわけではないそうです。

「まだかな会館」の前には「まだかな橋跡」の石碑が建っています。

まだかな橋とは

まだかな橋は、現在は橋の後がなく何もない状態です。
かつて江戸時代の下津井が寄港地として賑わっていた時代に遡ります、入港して来た北廻船等の船頭に遊女が橋にやってきて「まだ上がらんな」とさそいをかけていた橋であったことから橋の名前になったといわれています。

当時はこの場所は叙情とロマンの波止場だったみたいですね。。

北前船の衰退とともにいつしか女性たちもいなくなり、時代の流れと共に橋の周囲も埋め立てられ現在の景色になっています・・・。

昔の火の見やぐらでしょうか?
今は住民放送の資材を取り付けて使用しているみたいですね。

ここを北に50m程上がれば「下津井の共同井戸群」につきます。

まだかな橋の跡地にまだかな会館・・・
一瞬考えますよね。
まだかなという言葉の意味がよく解らないので、何の建物!?・石碑!?かよくわからなくなりますよね(笑)

歴史を順序良く追っていくと納得です。。
先の「まだかな橋(由来)」があって現在の建物に繋がる。。
土地の歴史は面白いですね^^

まだかな橋の親柱の説明看板が現地にあります。

看板内容

まだかな橋観覧の欄干の親柱
下津井港には、江戸期から北海道の特産物を満載した北前船で諸国の物産を積んだ船などが数多く寄港していた。
陽も沈み町の行燈に赤い燈がともると中波止の橋のたもとから船頭や船乗りたちに「まだ(遊郭にあがらん)かな」と声をかける姿がいた。
いつともなく橋は「まだかな橋」と呼ばれるようになった。
この親柱は海岸道路建設の際に下津井港が埋め立てられるまで、橋の欄干に用いられていたものである。

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後ずれた際には案内看板を読んでみて下さい。
文章の中から、当時の栄えていた時代を想像しながら今は無い「まだかな橋」を想像して現地を見てみて下さい。
北前船で栄えた土地にはいろんな人が集まり様々なストーリーがあったんでしょうね。。
歴史を感じてみて下さい^^

アクセス

所在地 岡山県倉敷市下津井一丁目
アクセス 公共交通:JR児島駅→下電バス下津井循環線とこはい号で18分、バス停:祇園神社下下車
車:瀬戸中央道児島ICから県道393号経由4km 8分

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