下津井散策「江戸時代に廻船問屋で栄えた面影を残す町並みを見ることができるスポット」

下津井(しもつい)は、岡山県倉敷市児島地域の児島半島の西南端にあたる地区で、市になる前は児島郡下津井町の下津井、吹上、田之浦、大畠の各大字から構成されていました。
古くから港町として繁栄し、東部には名峰・鷲羽山を望むことができます。
下津井の街は瀬戸内海沿岸の丘陵地のため平地は少ない地域です。

鷲羽山では、西日本で最初の旧石器時代の石器が発見され(1954年発見)、古墳時代(6世紀)の古墳が現存し、平安時代の神社(式内社;田土浦坐神社)が今も鎮座しています。
また、平安時代には沖合にて、藤原純友が時の政府に反乱を起こしたことも歴史から見ることができます。

最近ではアニメのロケ地になったり・観光建物「むかし下津井回船問屋」を整備したりと、下津井の街を観光に訪れる人も増えています。

現在の下津井では漁業が盛んな地区で「下津井蛸」が有名です。
下津井の街並みを散策すると、港の近くでは季節によりますが蛸を天日干しした風景が見られ、地元漁協による小売市場も催されています。

瀬戸大橋の架橋により沿岸道路が整備されたため港も整備されましたが、下津井の街中には江戸時代に廻船問屋や遊郭が軒を並べた頃の面影が残り、岡山県によって町並み保存地区に指定されています。

下津井の街並みは規模的には小さいので車をおいて徒歩で散策するのがおススメです。
下津井の歴史(北前船で栄えた港町等)を訪れる前に調べておくとより散策を楽しむことができますので、よろしければ参考にして下さい。

むかし下津井回船問屋


今に残る回船問屋の建物をできるだけ当時(明治時代)に近いかたちで復元資料館。
母屋など当時の商家の様子がうかがえる写真・展示品のほか、下津井にまつわる資料の展示も数多くあります。
資料館敷地には休憩所、レストラン、資料館などがあり、下津井観光の拠点となっています。

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祇園神社


下津井の町並みの西に位置する、海に突き出す岬の丘の上に建つ神社。
※海抜22mの浄山(じょうやま)の上に祀られています。
祇園神社は下津井の氏神「祇園さん」と呼ばれ親しまれ、北前舟で栄えていた頃、航海安全の神様として信仰を集めてきた神社です。
祇園神社は、下津井港が栄えた江戸時代後半頃、水軍の将が創建し、長浜宮と祇園宮が合祀されて祇園神社と呼ばれるようになったと伝えられています。

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四柱神社


下津井の町なかから山間に向かうと小高い丘の上に神社が見えてきます。
なかなかないほどの急な階段が見えてるのが今回の目的地になる「四柱神社」になります。
漢字の読み方がわかりにくいかもしれませんが「ヨハシラジンジャ」と読みます。
神社から見渡す眺望は気持ちが良いほどのロケーションですが・・・
この神社の特徴のひとつが急こう配の階段です。どれくらい休暇というと正直現地に行ってみて下さい(笑)※写真を掲載していますので参考にしてみて下さい。

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まだかな橋跡


倉敷市・下津井地区に「まだかな会館」という、ちょっと変わった名前の建物が目につきます。
「まだかな会館」は地域の公民館のような建物だそうですが、建物用途や使用目的に「まだかな」という言葉の意味があるわけではないそうです。
「まだかな会館」の前には「まだかな橋跡」の石碑が建っています。
かつて江戸時代の下津井が寄港地として賑わっていた時代に遡ります、入港して来た北廻船等の船頭に遊女が橋にやってきて「まだ上がらんな」とさそいをかけていた橋であったことから橋の名前になったといわれています。

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下津井の共同井戸群


倉敷市・下津井地区に「まだかな会館」という、ちょっと変わった名前の建物が目につきます。
「まだかな会館」は地域の公民館のような建物だそうですが、建物用途や使用目的に「まだかな」という言葉の意味があるわけではないそうです。
「まだかな会館」の前には「まだかな橋跡」の石碑が建っています。
かつて江戸時代の下津井が寄港地として賑わっていた時代に遡ります、入港して来た北廻船等の船頭に遊女が橋にやってきて「まだ上がらんな」とさそいをかけていた橋であったことから橋の名前になったといわれています。

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