Then & Now ・ 今昔

今と昔の空中写真 ― 岡山の土地の移り変わり

まん中の仕切りを左右にドラッグすると、同じ場所の「昔」と「今」を見くらべられます。児島湾・笠岡湾の干拓、水島の工業地帯、岡山空港の造成――海が陸に、田がまちに変わってきたようすを、国土地理院の空中写真でたどってみてください。

/ 今(右):最新の写真
昔今
⇔
空中写真・地図は 国土地理院の地理院タイルを、同利用規約にもとづいて表示しています(出典:国土地理院)。年代は撮影時期の目安で、地域により写真が無い場合があります。また 1945〜50年ごろの写真は米軍が撮影したものを国土地理院が提供しているなど、撮影機関が異なる場合があります。地番・ハザード・治水地形まで重ねて確かめたいときは 地図で見る岡山 へ。土地の判断は必ず公的な最新情報をご確認ください。
🌊 この今昔ビューアは特集「地図と数字で読む岡山」の一部です。読み物とあわせてどうぞ ― 児島湾干拓/水島/児島の地名。

この土地は、こう変わった ― 見どころ

上のビューアで場所を選び、仕切りを左右に動かしてみてください。海が陸に、田がまちに変わっていくようすがわかります。年代は撮影時期の目安です。

児島湾の干拓
江戸期から昭和にかけて、遠浅の海を堤防で締め切り、広大な農地へと変えていった一帯。海だった場所に、まっすぐな水路と田が広がります。
笠岡湾干拓
国営の干拓事業で、遠浅だった笠岡湾が大きな農地(笠岡ベイファーム一帯)に。海岸線がぐっと沖へ移りました。
水島の工業地帯
戦後、遠浅の海を埋め立てて造成された臨海のコンビナート。昔の写真では、まだ海や干潟だった区画が読み取れます。
玉野・宇野港
造船とともに海辺が埋め立てられ、港と工場のまちへ。宇野港からは、いまも直島など瀬戸内の島々へ船が出ています。
岡山空港
北部の丘陵地を造成してつくられた空港。1988年(昭和63年)に現在地へ移転開港しました。昔の写真では、まだ山や畑だったことがわかります。
岡山市街・津山市街
田畑や町割りのあいだに、住宅と道路が広がっていったまち。吉井川ぞいの城下町・津山でも、市街地の広がりが読み取れます。
瀬戸大橋
1988年(昭和63年)に開通した、本州と四国を結ぶ橋。昔の写真では、児島の先の海に、まだ橋がありません。 瀬戸大橋の物語 →
錦海湾の塩田跡(瀬戸内市)
海を締め切ってつくられた広い塩田の跡。いまは、その区画いっぱいに太陽光パネルがならびます。
苫田ダム(奥津湖・鏡野町)
吉井川の上流に平成に完成したダム。昔の写真(1974〜78年)では、湖の底になった谷の集落と田畑が見えます。 奥津渓 →
吉備高原都市(吉備中央町)
県が吉備高原の丘陵に計画して整備した新しいまち。昔の写真では、まだ山林と田畑の広がる高原です。 吉備高原 ― 動かない大地 →
百間川(岡山市)
旭川の洪水を東へ逃がすため、江戸時代につくられた放水路。まわりの田がまちに変わっても、川の幅はそのまま残っています。 百間川 ― つくられた、もう一本の川 →
真備・小田川(倉敷市)
平成30年7月豪雨のあと、小田川と高梁川の合流点を下流へ付け替える工事が行われました。川の流れの変化を見くらべられます。 真備 ― 水害の記憶 →

今と昔の空中写真、よくある質問

この空中写真は、どこのものですか?

国土地理院が公開している空中写真(年代別のオルソ画像)を利用しています。地理院地図や「地図・空中写真閲覧サービス」で、戦後まもなくから現在までの撮影を見ることができます。

昔の写真は、いつ頃のものですか?

年代は撮影時期の目安です。戦後の米軍撮影(1940年代後半)や、国土地理院による各年代の撮影などがあり、場所によって時期が異なります。ビューアの表示でご確認ください。

なぜ、同じ場所がこんなに変わったのですか?

岡山では、遠浅の海を干拓・埋め立てて農地や工業地帯に変えてきました(児島湾・笠岡湾・水島など)。田畑だった土地に市街地が広がった場所も多く、空中写真では、その移り変わりがはっきり読み取れます。土地の成り立ちは大地の物語で詳しく。

自分の家や土地の“昔”も見られますか?

ビューアで住所・地名などから場所を探し、仕切りを左右に動かすと、その地点の今と昔を見くらべられます。埋立地や干拓地・旧河道など、土地の成り立ちや災害リスクを知る手がかりにもなります。